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2024.03.09

デザインで関わっている商品の取り扱いが、ある店舗できまった。
そこで既に取り扱いのある会社で、その(デザインしている)商品を扱ってもらっているという繋がりがあったからだろうと推測している。
つまりある店舗の人が「信用している人が信用しているなら、信用しましょう」と思ってくれたのではないかと。

信用という言葉でいつもぼんやりと思い出すのがBRUTUSの糸井さんの特集。久しぶりに取り出してみると2011年のものだった。
糸井さんのミーティングでの言葉ですけど、なんかずっと引っかかっているので以下抜粋。


信用、という言葉はずいぶん軽くて本当は嫌なんですけど。それを愛って言っちゃったら柔らかくはなるけどちょっとカッコよすぎて、かえって心に留めにくくなる。だからあえて信用と言います。それはつまり、「あの人が言うことだからちゃんと聞こう」とかそういうことです。
例えば、誰かが僕の前に背中を向けて立ったとします。「ちゃんと支えますから、そのまま倒れてください」と言っても、僕を信用していなければ、その人は後ろに倒れかかることはないでしょ。
だけど信用していればそのままスッと倒れることができる。つまり、いまの僕らは、お客さんが後ろに倒れてくれる状態で仕事ができているんです。「だまされてもいいからやってみよう」「欠点はあるが目をつむっておこう」と僕らに依存し、委ねてくれている。
信用というのは数字として目標に立てられるものではないですよね。また、僕が言いたい信用は「ここに段差がありますから注意してください」と、先回りをしてお客さんがつまずかないようにするとか。そういうことでもなくて、「この人たちと一緒に何かをつくったら楽しかった」「明るさを取り戻せた」「希望を感じた」とか、そういった種類のものだと思っています。

2023.10.30

ネーミング

日本の紋章という本をパラパラと見ていて、
雷紋の項目のところ。
「雷紋は稲妻紋とも称する。稲妻は雷光の別名。雷光は一概に有害凶悪なものとされるが、
雷は雨をともない農作物の成長を促進するが故に稲妻の別名がつけられた。」
と書いてある。つまり、稲を育てるから、稲の妻。
(そもそも妻は何かを育てるものだったのかとも思うけれど)なんというネーミングセンス。
でも当時はピンとこなかったんだろうなあと想像してみる。
稲の妻って、ちょっとかわいすぎませんかねえと思っちゃう。

2023.10.20

10月18日(水)

甲子園にクライマックスシリーズを見に行った。
阪神対広島。チケット争奪戦を勝ちとった友達が誘ってくれた。
その友達は神戸に住んでいて、小中と大学が同じ学校で、
頻繁に会うわけではないけれど友達で、香川の実家も近所だけれど、
争奪するほど阪神が好きだったのか、ということにまず驚いたし、
ここ数年僕は野球なんて見に行ってないし、プロ野球中継もろくに見ていないのに、
8月にも違う友達に京セラドームでの巨人対広島戦に誘われていて、
今回が今年2度目の野球観戦で、そんなにも野球に誘われる自分にも驚く。

まあきっとそれは僕が独身で暇だとみんなが思っているのと
かつて小中高と野球部で、野球が好きなやつと思われているのだと思うが、
先にも書いたけれど、プロ野球中継なんてろくに見ていないし、ほぼ興味はなくなっていて、
選手の名前もほとんど知らないし、ペナントレースの行方も知らない。
でも誘われるのはうれしいし、実際時間もどうとでもなるし、断るのも申し訳ないので行く。
(行けば行ったで、やっぱり楽しいし、興奮するし、めちゃめちゃ声出して盛り上がります。)

この日はくもひとつない秋晴れで、ちょうどよい冷たさを感じる風で、
薄い青から薄いオレンジ色に変わるグラデーションの空は透き通っていて、
冬ほどの緊張感もなく、気持ちも穏やかで、
阪神電車で甲子園に向かうのだけれど、
大阪駅から甲子園に行くまでにビル群を抜けたり、川を越えたり、
ちょうどつき始めた都会の街頭や、電飾看板や、
車のライトや川の水面がキラキラと光って
よく晴れた10月の17時ごろの世界はこんなにも美しいと思って、
野球の勝敗うんぬんや、先発ピッチャーのことは何も頭によぎらなかったけれど、
それだけでああいい日だな、と思って甲子園に向かった。

2023.09.18

9月12日(火)

打ち合わせで行った、滋賀の近江八幡から大阪に帰る電車の車窓から、
高速道路の高架下で、先生の話を聞くために円陣になって集まっている女子高生たちを見た。
遠くだから女子高生たちは小さかった。
というか高架が大きかったのでさらに女子高生たちは小さく見えた。
電車の車窓からなので、その風景を見たのは一瞬だった。
動きやすい、体操服のような格好をしていたので、部活動の途中か、始まりだったのかもしれない。
16:30ぐらいだったから終わりということはないですよね。
大きな高架と都会の景色、何もかもが(物理的にも可能性という意味でも)大きい世界と、
まだまだ小さい何も始まっていない高校生。
そのコントラストが切なくて、素敵で、嬉しくなって、自分の高校時代が一瞬、蘇った。
高校時代が蘇ったというよりも、自分にも高校時代があったなあという、懐かしいような、
とりかたによっては後ろ向きな感情だけれど、
その時のそれはほんの少し前向きにしてくれる感情で、切なくて、ふわっとして、うれしくなった。


その電車は途中、人身事故の影響で止まった。
夕方の5時ぐらいに一度止まって、とりあえず最寄りの高槻駅に向かいますと動き出したのが6時ぐらい。
6時10分ぐらいに高槻に着いた。
降りて阪急に乗り換えることはできたけれど、6時30分ごろに再開できるとのことだったので、
このままJRで帰ることを選んだ。
アナウンス通り、動き出したのが6時30分頃。合計1時間半ぐらい閉じ込められていて、
トイレに行ったり、たまたま持っていた文庫本を読んだりして過ごした。
ごつんッという近くで何かが落ちた音がして、隣の座席の人と「何か落ちましたよね」と
落ちたモノを探したけれど、何もなくて、何かが落ちたのは近くじゃなくて、
もう少し遠くなんだなと、お互い理解し合ったりして過ごした。
そんなことをして過ごしている間、車内のアナウンスは何度も何度も電車が遅れることを詫びていた。
運転再開の時のアナウンスは少し嬉しそうだった。本当に。

2023.08.08

8月8日(火)

京阪シティーモールの地下1Fにあるお惣菜やさんでよく
晩御飯を買っているのだけど、
(そこはおかずだけが入っていて、
ご飯のスペースが空いた弁当箱をレジに持っていくと、
できたてのご飯を入れてくれるような店で、味もやさしく、
へんな添加物がはいっていない(と信じている))
そこのとうもろこしおにぎりがめちゃめちゃ美味しかった。
そして鮮やかな黄色いドットがまぶされた、
このとうもろこしおにぎりというやつは
なんてかわいい食べ物なんだろうと、食べながら思った。

2023.08.05

8月5日(土曜日)

喪服姿の女性二人がコンビニの前でコンビニのおにぎりを食べていた。
この風景のコントラストが強くてかっこいいと思った。
写真を撮りたりいと思った。
でも、でもじゃないけど、僕はきっとたぶんこれからも、
喪服で、コンビニ前で、コンビニのおにぎりを食べないような気がする。

2023.07.15

7月15日(土曜日)

歌や詩は本当のことが言えていいなあ。
と思います。
そして、歌や詩じゃないと本当のことは
ちゃんと届かないんだろうなあ。
というような気もしています。

2023.07.04

2023年7月3日(月曜日)

2月に子供が産まれたばかりの友人が
事務所に寄ってくれた。
奥さんがこの辺りで、1時間ぐらい用事があって、その間旦那さんが
子供を見ていなくてはならなくて、
適当にお店に入ったりして時間を潰そうとしていたら
子供が急に泣き出して、たまたま近くにあったうちの事務所に
避難してきたような感じ。
到着した時には子供は泣き止んでいた。

その子供というか赤ちゃんには何度かあったことがある。
とてもかわいくて、男前。かしこそうだし。

もう覚えてくれてるよね〜と話しかけていたら
旦那さんが、僕も覚えてくれてないのに、と冗談のように言っていて
それはほんとに冗談だと思うけど、
でもほんとに覚えているのか、覚えていないのか、
本人に聞いてみないと分からないなあとも思った。
でも何も喋らないから確認することはできない。
だって、はいはいもまだできない。

しばらくお酒とカレーの話をしていると、
子供が泣き出した。
もう眠いのかもしれませんね。
眠ければ寝ればいいのにねと言ったら、
全てが終わってしまうような感覚らしいですよと
旦那さんが教えてくれた。
確かに、このまま眠ると、
もう目をさますことができないかもしれない、
みたいなことを感じているのかもしれない。
だって睡眠なんて知らないでしょうし。
今日ははよ寝よとか、
いや〜よく寝たからスッキリ、
なんて感覚、ないんでしょうし。
でもそれも本人に聞いてみないと分からない。

おんなじようなこと。ではないかもしれないが、
子供の頃、死とか、ブラックホールとかのことを考えて
寝る前に一人で怯えていたことを思い出した。

赤ちゃん 眠い なぜ泣く
でググろうと思ってはいるけど、
まだしてないし、やらないかもしれない。


子供が泣き続けるので
旦那さんが悪戦苦闘していると、
しばらくして、奥さんが迎えにきて
子供を抱き抱えたら泣き止んだ。
子供は笑っているように見えた。

2023.07.03

2023年7月1日

和田ファームの和田さんが遊びにきた。
和田さんは元デザイナーで現農家の少し歳上の友達だ。
お土産にズッキーニの細長い形のやつと、丸っこい形のやつ。
それとじゃがいも、インゲン豆をいただいた。
ズッキーニ、形の違うの2種類作ってるんですね!
え、なんでなんですか!?って聞こうと思ったけど
なんかそれは聞かなくてもいいかと思って聞かなかった。

ランチに和田さんと、天神橋筋商店街の天一あたりにある
昔ながらの蕎麦屋さんに行く。
店はいっぱいで、小上がりになった座敷席しかあいてなくて、
ちょうどいいなあとお互いに言った。
僕はざるそば定食にしますと言ったら、
そうなん!そうか〜いっしょなんにはしたくないからな〜とか、
中学生みたいなことを言い出したのだが、
結局和田さんもざる蕎麦定食に落ち着き、
二人でざるそば定食を頼んだ。

となりのテーブルの人が、カツ丼の定食を食べていて、
やはりそちらにしておけばよかったと思ったが
しばらくして届いたざるそばを目の前にすると、
やはりざるそばにして正解だ、と思った。
和田さんも同じことを考えていたようです。
店を出て、そのあとも事務所の近所のカフェで、
珈琲を飲みながらいろいろなことを喋った。
普段少し感覚的に敬遠しているカフェに入ったのですが、
コーヒーもケーキもおいしくて、全くもってあなどってました。
というかすみませんでしたって感じ。また行きたい。
そりゃ流行ってますよね。

夜に印刷が仕上がったばかりの名刺をとりに
友人がやってきた。とても喜んでくれてよかった。
机においてあったズッキーニを見て、
おしゃれやなと言って、帰って行った。

2024.03.05

豊中名曲 ストーリー

豊中名曲のために早瀬さんに書いていただいてたストーリー(物語詩)です。
とても素敵なのでこちらに残しておきます。

作: 早瀬直久

どちらに転んでもいいように、両手を広げていた
恋はいつも、裸の耳でこちらを見つめている。
並んだ木々を眺め、落ちる葉音を数えた幸せな午後。
一筋の光さえ、まだ手に残る温度でさえ、逃さないようにと、
さようならを振ることができなかった駅。
今日もまた、車窓に映る花束の香り、
両手いっぱいに抱えた日のことを忘れないでいよう。
夜空の星の名のように、点と線が繋がってはじめて気が付いた。
人は恋をするたびに何かを忘れて生きている。
風の音を記憶する街、白黒つけられない緑、
恋をすれば時間を旅することくらい。





Insominia
「瞼(まぶた)の記憶」

朝でも夜でもない時間、
瞼の中はいつも夢なのかも知れない。
不規則に打つ柔らかい鉄の音、
呆気なく手をふる窓の景色、
天秤にゆれる心地をどこか愉しみながら、
前を向いて目を閉じてみる。
季節の間を走る電車、 重なる手の上下、
毎日を過ぎる駅の名前ですら新鮮で、
目新しさに立ち向かう勇気をくれたあの日の記憶、恋の音。
ドアの合図を待ちきれない風が、
懐かしいカーテンを一斉に揺らした。

休みの時間、昼にだけ流れる教室の音楽、
眩しさに目を細めていた窓側の席から声がする。
聞いたことのある眩しい声。
聞いたことのなかった音楽の話に、
小さく頷いて、大きく傾いた日。
チャイムの音色がいつもと違って聞こえたその日から、
夢中になって話すその言葉の抑揚を、
裸の耳で追いかけていた。
はぐらかすような独特なテンポ、
時折見せる影のコントラスト、
いろんな音が混じっていた。

音楽は反面教師だ、
鏡に映った自分のように逆さまだから、
憧れを抱いているに過ぎない。
そう投げるような声のあと、
レコードに針が落ち、釘づけになった。
突然大人になった日のように、
ぼんやりと燃え尽きていた。
台無しになってもいい、
この気持ちを言葉にせずに伝えたい、
この夏が目を閉じているその隙に。
緑の風の丘の上、
どちらに転んでもいいように、両手を広げていた。




Pure
「緑の向こう側」


駅から伸びる道に、
緑のアーチがつづいている。
想像していたより大きかった手の感触は、
新しい靴のように嬉しい誤算なのだと、
歩き続ける音を頼りに、腕を振っていた。

一点の曇りもない。
青と言えば嘘になる秋空の下、
迷ってもいい緑の真ん中で耳を澄ます。
花言葉に宿る毒も、
こうもりが放つ音の波も、
大昔、すぐそこまでが海だったことも、
ぜんぶ知らない世界で満ち足りている。
自然の強弱には勝てないと項垂れながら、
風に乗って聞こえてくる楽器の音色に、
ひとり耳を赤くしていた。

並んだ木々を眺め、
落ちる葉音を数えながら、
どれくらい時間が経った頃だろう。
もう忘れたと思っていた虫眼鏡を手にして、
青天井の “ YES ” の文字を見つけてくれた。
恋が聞こえる距離、
ベンチの隣で聞かせてくれたおとぎ話は、
子守唄のように目が覚めるまで忘れない。

手を繋いだ街はまだ夕暮れの日曜日。
いつもの踏切はとても寛大になり、
よく知る街を知らない街に変える。
道の反対側を歩くことで誰かを救えるのなら、
そんな思いで夕陽を直視し、
自分がとけて流れる音に耳を傾けていた。

色は光の行為だと思い知った空の紫に、
時計の針で刺される痛みと、
美しい沈黙があることを教わった。
許されるならもう少しのあいだ、
窓の外を一緒に見ていたい。
また来ようと約束をした喫茶店で、
緑の泡が弾け、今日という日が100年の眠りについた。






Gift
「手に余る灯(ともしび)」


静かに降る雪を、
窓辺で飽きることなくじっと眺めている。
季節に倣って忍ばせておいた手袋は、
鞄の底で聞き耳を立てながら、
象のように眠ってしまったのだろう。
繋いだ手の中を風が通り抜け、
贈り物でもらった指輪が冷たくなるのを幸せに感じていた。

隣で歩調が合う度に、宙に浮いた心地、
いつもは大人しく付いてくるだけの影が、
めずらしく背中を押してくる。
そっと差し伸べられた手の合図に応えるだけで、
景色は写真のように微睡み、
階段の音楽が聞こえてきた。

一番星の位置すら忘れて耳を澄ます。
万雷の喝采のように、音が行き交う滑走路、
やがてその後を静寂が追いかけて、
すべてを思い出に変えるから、
臆病な鳥も翼を広げて何度も歌ってしまうのだろう。
息の白さで言葉が見えなくなる前に、
出来る限りの飛び方を教えて欲しい。
途中で消えた飛行機雲を指でなぞって、
二人は夜になっていた。

一線を越えた光は、
天使のように危なかしく、
両手を広げて降ってくる。
目の奥にある温かさを見つめながら、
夜をはらんだ日の出の影に、ずっと隠れていたかった。
ゆっくりとカーブを描くその先に、
本当に安息の日々があるのなら、
ここから見えなくなるまで手を振って応えたい。
さよならを振ることができなかった駅が小さくなってゆく。
はなれてはじめて、手に余る灯に気がついた。
掌を静かに握る仕草のあと、長い余韻に包まれていた。


Ocean
「遠い響き」

どんなに遠く離れた場所にいても、
躊躇うことなく思いを告げられる鯨になりたい。
深く息を吸って、しずかに潜り、歌を捧げる。
忘れかけていた時間の断片は、
音の波に優しく呑み込まれたまま、
瓶に入った手紙のように大切に辿り着く。
遥かなる海を思い知った湖なら、
幻想的なまでに水面の霞を吐き出して、
恋の在り処を示してくれると信じていた。

伝わり続ける振動を、手の中で確かめる。
携帯電話の中の懐かしい写真、
これは何年前の春だろう。
いつもは一目散に行方を晦ます鳥が、
こちらを覗き込むように並行して飛んでいる。
もう少し、あと少しで、すれ違いざまの風圧、
ずっと鼓膜にしがみ付いていた記憶と目が合った。

追いかけるだけで精一杯だった指先に、
小さな蝶が止まった日、
本当の言葉を聞かせてくれた気がして、
ありったけの旋律を駆け巡らせたこと。

窓を差す眩しさに、
今何が見えるか伝えたい、
写真の頬を指でなぞると、
かすかに声が聞こえた気がした。
車窓に映る花束の香り、
両手いっぱいに抱えた日のことを忘れないでいよう、
これまで抱いてきた様々な感情のすべてに色がつき、
肯定的な情景となって目の前に広がっていた。
空しか見えなくなるカーブを、祈るように曲がるだけ、
改札を出て会いに行く、大きく手を振って待っていて。

大好きだった商店街のあの店が、
新しい別の何かに姿を変えてしまっても、
この街で暮らす理由は何ひとつ変わらない。
そっと握り返してくれた掌に、
消えない余韻を閉じ込めて、
遠い響きに耳をうずめて、
息がつづく限りの声で、
緑の風吹くこの街で。

2021.10.11

2021年10月10日(日)

暑い。10月が嫌いになってしまいそう。でもやっぱり晴れっていいですね。日曜だけど頭では引き続きロゴを考え中。しかしほんとに暑い。ロゴを考えるには心配事のない頭でただただ考え続ける時間が必要だと思っています。で、思いつくのはそれ以外の時間。コンビニで新聞を買いました。久しぶりに新聞を読む。おもしろい。偏っているんでしょう。そして一部だけの情報なんでしょう。これだけじゃダメなんでしょう。とはいえ幅広くて話題がポンポン変わる。人生相談もある、一流の広告も見れちゃう、コロナも、アフガニスタンも、小説も、藤井聡太三冠も。新聞にはまってみます。

2021.10.11

2021年10月9日(土)

午前中ロゴを考える。ひらめいたと思ったけどちゃいました。アイデアがすごくても見た目が美しく、魅力的じゃないと、それはただの企画倒れ。いいロゴは美しいうえに、素晴らしいアイデアがつまっている。昼から入っているビルの会議。というかビルの外壁を工事するので、それの報告会。足場を作って一ヶ月ぐらい続くとのこと。最初の一週間ぐらいは相当うるさくなりそうとのことで、いやだなー。ちょうどそれぐらいはカタログの仕事が入っていてこもりっきりになる。明後日10月11日が祝日ではないことに気づく。