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2021.06.07

2021年6月7日(月)

ウォン・カーウァイ作品を立て続けに見ている。「欲望の翼」「花様年華」昨日は「ブエノスアイレス」を見た。僕は1977年生まれで、ミスチルやスピッツ、ドラゴンボールにスラムダンク、ダウンタウンやウッチャンナンチャン世代だけれど、ウォン・カーウァイ世代でもあるのです。大学に通っていた当時、相当流行っていたのではないでしょうか。(この前台湾人の若い友人にそんな話をしたらびっくりしてたけど。)キムタクともなんかやっていたような気がします。見てないけど。
当時、地方独自のオリジナルな名前のついた国道沿いのレンタルビデオやさんに自転車で行って、マクドナルドを持ち帰って、見た覚えがある。もちろんVHSで。内容はほとんど覚えてないけれど、見た覚えはある。映画や音楽にあこがれるけど、どうしたらいいかはわからない、ごく普通のもんもんとした学生だったからこれは見ておかなきゃとも思ったんだろうと思いますきっと。そんなことを考えていると、当時の間取りが浮かんできて、当時の匂いがしてくるようで切ない。

あれから20年以上、久しぶりに見たウォン・カーウァイ作品はめちゃめちゃかっこよかった。いちいちカッコいい画なんですね。前ぼけ、荒れた画質。顔と顔の距離近すぎ、たばこ吸いすぎ、突然のスロー、音楽、緊張感、ブエノスアイレスの色。かっこいいー。ストーリーは淡々と進むんだけど、かっこいいー。
動くソール・ライターのような気もしました。
当時はソール・ライターも知らないし、何がかっこいいかも分かってなかったと思うけれど、(というよりかっこいいものを素直にかっこいいというのが照れ臭かった。そんな幼稚な大学生)とにかくかっこよかった。レスリーチャンやトニーレオンは今みても色っぽい。受話器を握る姿、受話器をおく姿、タバコを吸う姿、傘をさす姿、ノックする姿、立ち去る姿。姿というか動き、所作。もはや公衆電話での所作なんて、日本に存在しないのかもしれないけど、かっこよかったなあ。たぶん当時こっそりまねてたんじゃないかしら。デジタルや合理化、ものが便利になることで失われるものがあるとしたら、こういった所作ではないかと思う。古い日本映画なんかをみていてもいつも思う。
レスリーチャンとトニーレオン、当時は同じような印象を持っていたけれど、今みるとレスリーチャンの役はレスリーチャンじゃなければいけないし、トニーレオンの役はトニーレオンじゃなければいけないと、めちゃくちゃ思った。

ミスチルやスピッツ、ドラゴンボールにスラムダンク、ダウンタウンやウッチャンナンチャンが、血となり肉となっているように、ウォン・カーウァイも血や肉や骨になってたらいいなあと思うけど、どうだろう。

ちなみに「花様年華」とは(花のように)人生で最も美しい瞬間という意味。