loading
2024.03.05

豊中名曲 ストーリー

豊中名曲のために早瀬さんに書いていただいてたストーリー(物語詩)です。
とても素敵なのでこちらに残しておきます。

作: 早瀬直久

どちらに転んでもいいように、両手を広げていた
恋はいつも、裸の耳でこちらを見つめている。
並んだ木々を眺め、落ちる葉音を数えた幸せな午後。
一筋の光さえ、まだ手に残る温度でさえ、逃さないようにと、
さようならを振ることができなかった駅。
今日もまた、車窓に映る花束の香り、
両手いっぱいに抱えた日のことを忘れないでいよう。
夜空の星の名のように、点と線が繋がってはじめて気が付いた。
人は恋をするたびに何かを忘れて生きている。
風の音を記憶する街、白黒つけられない緑、
恋をすれば時間を旅することくらい。





Insominia
「瞼(まぶた)の記憶」

朝でも夜でもない時間、
瞼の中はいつも夢なのかも知れない。
不規則に打つ柔らかい鉄の音、
呆気なく手をふる窓の景色、
天秤にゆれる心地をどこか愉しみながら、
前を向いて目を閉じてみる。
季節の間を走る電車、 重なる手の上下、
毎日を過ぎる駅の名前ですら新鮮で、
目新しさに立ち向かう勇気をくれたあの日の記憶、恋の音。
ドアの合図を待ちきれない風が、
懐かしいカーテンを一斉に揺らした。

休みの時間、昼にだけ流れる教室の音楽、
眩しさに目を細めていた窓側の席から声がする。
聞いたことのある眩しい声。
聞いたことのなかった音楽の話に、
小さく頷いて、大きく傾いた日。
チャイムの音色がいつもと違って聞こえたその日から、
夢中になって話すその言葉の抑揚を、
裸の耳で追いかけていた。
はぐらかすような独特なテンポ、
時折見せる影のコントラスト、
いろんな音が混じっていた。

音楽は反面教師だ、
鏡に映った自分のように逆さまだから、
憧れを抱いているに過ぎない。
そう投げるような声のあと、
レコードに針が落ち、釘づけになった。
突然大人になった日のように、
ぼんやりと燃え尽きていた。
台無しになってもいい、
この気持ちを言葉にせずに伝えたい、
この夏が目を閉じているその隙に。
緑の風の丘の上、
どちらに転んでもいいように、両手を広げていた。




Pure
「緑の向こう側」


駅から伸びる道に、
緑のアーチがつづいている。
想像していたより大きかった手の感触は、
新しい靴のように嬉しい誤算なのだと、
歩き続ける音を頼りに、腕を振っていた。

一点の曇りもない。
青と言えば嘘になる秋空の下、
迷ってもいい緑の真ん中で耳を澄ます。
花言葉に宿る毒も、
こうもりが放つ音の波も、
大昔、すぐそこまでが海だったことも、
ぜんぶ知らない世界で満ち足りている。
自然の強弱には勝てないと項垂れながら、
風に乗って聞こえてくる楽器の音色に、
ひとり耳を赤くしていた。

並んだ木々を眺め、
落ちる葉音を数えながら、
どれくらい時間が経った頃だろう。
もう忘れたと思っていた虫眼鏡を手にして、
青天井の “ YES ” の文字を見つけてくれた。
恋が聞こえる距離、
ベンチの隣で聞かせてくれたおとぎ話は、
子守唄のように目が覚めるまで忘れない。

手を繋いだ街はまだ夕暮れの日曜日。
いつもの踏切はとても寛大になり、
よく知る街を知らない街に変える。
道の反対側を歩くことで誰かを救えるのなら、
そんな思いで夕陽を直視し、
自分がとけて流れる音に耳を傾けていた。

色は光の行為だと思い知った空の紫に、
時計の針で刺される痛みと、
美しい沈黙があることを教わった。
許されるならもう少しのあいだ、
窓の外を一緒に見ていたい。
また来ようと約束をした喫茶店で、
緑の泡が弾け、今日という日が100年の眠りについた。






Gift
「手に余る灯(ともしび)」


静かに降る雪を、
窓辺で飽きることなくじっと眺めている。
季節に倣って忍ばせておいた手袋は、
鞄の底で聞き耳を立てながら、
象のように眠ってしまったのだろう。
繋いだ手の中を風が通り抜け、
贈り物でもらった指輪が冷たくなるのを幸せに感じていた。

隣で歩調が合う度に、宙に浮いた心地、
いつもは大人しく付いてくるだけの影が、
めずらしく背中を押してくる。
そっと差し伸べられた手の合図に応えるだけで、
景色は写真のように微睡み、
階段の音楽が聞こえてきた。

一番星の位置すら忘れて耳を澄ます。
万雷の喝采のように、音が行き交う滑走路、
やがてその後を静寂が追いかけて、
すべてを思い出に変えるから、
臆病な鳥も翼を広げて何度も歌ってしまうのだろう。
息の白さで言葉が見えなくなる前に、
出来る限りの飛び方を教えて欲しい。
途中で消えた飛行機雲を指でなぞって、
二人は夜になっていた。

一線を越えた光は、
天使のように危なかしく、
両手を広げて降ってくる。
目の奥にある温かさを見つめながら、
夜をはらんだ日の出の影に、ずっと隠れていたかった。
ゆっくりとカーブを描くその先に、
本当に安息の日々があるのなら、
ここから見えなくなるまで手を振って応えたい。
さよならを振ることができなかった駅が小さくなってゆく。
はなれてはじめて、手に余る灯に気がついた。
掌を静かに握る仕草のあと、長い余韻に包まれていた。


Ocean
「遠い響き」

どんなに遠く離れた場所にいても、
躊躇うことなく思いを告げられる鯨になりたい。
深く息を吸って、しずかに潜り、歌を捧げる。
忘れかけていた時間の断片は、
音の波に優しく呑み込まれたまま、
瓶に入った手紙のように大切に辿り着く。
遥かなる海を思い知った湖なら、
幻想的なまでに水面の霞を吐き出して、
恋の在り処を示してくれると信じていた。

伝わり続ける振動を、手の中で確かめる。
携帯電話の中の懐かしい写真、
これは何年前の春だろう。
いつもは一目散に行方を晦ます鳥が、
こちらを覗き込むように並行して飛んでいる。
もう少し、あと少しで、すれ違いざまの風圧、
ずっと鼓膜にしがみ付いていた記憶と目が合った。

追いかけるだけで精一杯だった指先に、
小さな蝶が止まった日、
本当の言葉を聞かせてくれた気がして、
ありったけの旋律を駆け巡らせたこと。

窓を差す眩しさに、
今何が見えるか伝えたい、
写真の頬を指でなぞると、
かすかに声が聞こえた気がした。
車窓に映る花束の香り、
両手いっぱいに抱えた日のことを忘れないでいよう、
これまで抱いてきた様々な感情のすべてに色がつき、
肯定的な情景となって目の前に広がっていた。
空しか見えなくなるカーブを、祈るように曲がるだけ、
改札を出て会いに行く、大きく手を振って待っていて。

大好きだった商店街のあの店が、
新しい別の何かに姿を変えてしまっても、
この街で暮らす理由は何ひとつ変わらない。
そっと握り返してくれた掌に、
消えない余韻を閉じ込めて、
遠い響きに耳をうずめて、
息がつづく限りの声で、
緑の風吹くこの街で。