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2021.06.26

2021年6月19日(土)の日記

事務所には観葉植物が5つある。

一つは家族が、プレゼントしてくれたもの、一つは知り合いがプレゼンしてくれたもの。
一つは自分で買ったもの。残りの二つは同じビルに入っていた方が引っ越しをされる時に引き継いだもの。その5つがうちの事務所にある。

家族というか両親がプレゼントしてくれたものは、自分では選ばないような植物であり、鉢だ。その鉢(土)から、鉢の縁に沿って、枝(茎?)が数本伸びているのだけど、その枝の真ん中に円状に5本、鉄の棒のようなものが立てられ、上側が真ん中で一つに束ねられている。棒に沿って数本の枝は、上に向かって網目状に編まれ、そして同じところで、一旦一つに束ねられ、そこからもう一度枝が広がりたくさんの葉をつけている。うまく説明できていないかもしれないけど、枝が網目に編まれているので、人工的で、謎のええとこの子感、金持ちの子感がある。そしてそこはかとなく漂う、実家感。なんかこれかわいそーーて思うし、最終的に真ん中の棒とか取りたいんだけどどうしたらいいんでしょうか。植物の名前はわからない。

知り合いがプレゼントしてくれたものは、
「木」っぽいものがほしいと言っていたのを聞いてくれていて、それで贈ってくれたパキラ。
引き継いだ二つはウンベラータとゴムの木(と思っていたら来る人来る人違うというので、なんか違うっぽいです)。

おかげさまで、日当たりもよく、みんなすくすく元気に育っている。あとこの事務所は天満宮に守られているからね。(これは何かが見える人に言われました。事務所は守られていますよ。うちに来たこともないのにそんなこと言われました。そういうのは信じます。)

ただみんな平等に愛を注いでいるつもりだけど、引き継いだ2つに関しては、うちに来た経緯がそういことだから、少しよそよそしいというか、うちでいいんですか、みたいな気分もあって、なんか距離を感じていました。本当に居心地いいですか。みたいな。なにしろ5階から2階に来たのですから。

そのなかの一つのウンベラータは、根元から枝(茎)が二つに別れて一本は太くまっすぐ伸び、一本は少し細く少し斜めに伸びている。
細く伸びた方は土から30cmぐらい伸びたところでさらに2つに枝分かれして、一つは天井に向かって真上に、一つのそのまま斜めに向かって伸びていて、それぞれ先っぽに数枚の葉っぱを咲かせている。
太く伸びた方は土から40cmぐらい伸びたところでこれもまた2本に別れて、そのうちの一本はそのままさらに天井に向かってまっすぐのび、もう一本はほぼ真横に向かって伸びている。真横に向かって伸びた枝は、その枝分かれしたところから60cmほど伸びたところで、これもまた2つに枝分かれしていて、一つはそのまままっすぐ伸び、一つはそこから真横に伸びている。真横に伸びている方が少し細く60cmぐらい伸びたところで葉っぱを1枚咲かせている。

土から太くまっすぐのびたものと、その枝から真横に枝分かれしたものが一番太くて、この2本がメインのような感じで、両方とも伸びた先に大きな葉を5枚ぐらい咲かせている。根元からその葉っぱまでは、それぞれ170cmぐらいあって、その先っぽの葉っぱまで、葉は一枚もなく(この2本だけに関わらず、全ての枝において)細長い枝がすらっと伸びている印象というか、すらっと伸びている。途中に枝や葉っぱがなく、これがウンベラータの正解なのかよく分からないけど、元気に育っているのでこれで正解だと思おうとしている。
当のウンベラータは、「正解なんてないんですよ。植物にだって個性はあるんですからね。ていうか自然界に同じものなんてないでしょうーが」なんて言ってるのかもしれない。

で、そのウンベラータ。先にも書きましたが、170cmぐらい伸びていて僕の背丈ぐらいあって、まあまあ大きいのですが、鉢が小さくて植え替えしようしようと思い、ようやく今日植え替えをしたのです。
今まではプラスチックの茶色いテラコッタ風のよくあるやつに植わってましたが、一回り大きい白い陶器の、よくあるやつに植え替えました。
植え替える時に当然根っこごと持ち上げて、古い土を落としてやっていたのですが、なんかこの行為の時に、このウンベラータとめちゃめちゃ分かり合えた気がしました。
まず全体を持つので重さが分かる。以外と軽かった。それがわかっただけでもすごく分かり合えた気がしました。あとささっと根っこを綺麗にしてる時も、今まで見えてなかった部分を見たし、触ったし、ウンベラータにすごい近づけた気がしました。もうここでやっていくよねと、通じ合えた気がしました。なんかよそよそしかったウンベラータに親しみを覚えました。

なんだか今までとは違う印象でウンベラータがそこにおります。

自分で買ったもの以外、残り3つもそこそこ鉢が小さくなってきているので、同じように植え替えたいと思っています。

2021.06.26

2021年6月18日(金)の日記

本町で打ち合わせ。梅雨の晴れ間のいい天気。自転車で、向かう。
少し早くついたので、ひとつ向こうの筋まで行って右回りにぐるっと回って到着。
1979年、昭和の潤っていた時代に建てられた(調べました)、重厚なレンガ造りのビル。しっかりしてていい感じだなあ。こういうビルがどんどん壊されて、新しいどこにでもあるようなマンションになるのあれほんとやめてほしいですよね。
使ってる素材も嘘っぽいし。安く作りたいのはわかるけど、それっぽい素材(それ自体はすごいと思いますよ)があって、安くできちゃうっていうのも分かるけど。
花火が見えますみたいな広告出して、(そんな広告を見るのは好きだったりしますけど)眺望がウリなのかもしれないけれど、住む人は本当に心地いいのかとかとか、周りの住民は心地いいのかとか、街が気持ちいいのかとか、本当に考えてるのだろうか。どのへんまで考えているのだろうか。

奥の奥に事務所があった。秘密基地みたいでかっこいい。
打ち合わせが終わり。自転車で帰る。いい天気。
漕ぎ出した途端に、目に虫が入る。

今年になって、春ぐらいから目に虫がよく入る。自転車に乗っていて颯爽と漕いでいると目に虫が入る。隔週ぐらいで虫が入る。なんで?めちゃくちゃテンション下がる。
おいしいものを、意気揚々と食べ始めた途端、舌噛んじゃうみたいなテンションの下がり方。
おいしい、食べたい、けど痛い。
気持ちいい、漕ぎたい、けど痛い。
ほんで目に入った虫、とれたの、とれてないの。ずっと痛いけど。とれたの、とれてないの。めっちゃ眼球触って、とったつもりだけど、とれたの、とれてないの。ずっと痛いけど。そもそも入ってないのか。一瞬入って出たのだけなのか。ずっと痛いけど。

2021.06.26

2021年6月17日(水)の日記

梅雨だ。雨だ。やんだ。

ちょっと部分的でイレギュラーな作業だけど、
商品画像を切り抜いて使うか、背景をいかしたまま使うか悩む。
どっちでもいいように思えることもあるが、やはり印象が変わってみえるのでそれだってデザイナーは検討している。

背景(今回の場合白バック)があった方が雰囲気が伝わるし、丁寧で上品な印象になる。切り抜きを使う場合は、元気がよくて楽しい印象になる。めちゃざっくりな話。もちろん背景込みのスタイリングで、元気の良さや楽しい印象を伝えることもできるけれど、それとは違う元気さ。写真だけではなくてレイアウトも含めて元気で動きのあるデザインをつくることができる。
どっちを選ぶかはやはり、お客さまやその媒体の役割ありきで、どういうイメージを伝えたいかによる。結局何を伝えたいかがわかっていないと、どんな些細な部分も決定することができない。何を伝えたいかがわかると決定できる。

今回伝えたいのは上品さではなく、カジュアルさ。ということで結局切り抜きにすることにしました。

2021.06.26

2021年6月15日(火)の日記

リモート会議やオンライン飲み会は、何か物足りないし、もういいよねという話を最近よくしている。
人の熱を感じたいし、要件だけを伝えるのにオンラインは便利だと思うけれど、雑談がうまれにくいし、何より間が難しいと。やっぱり対面だね〜と。知った風な顔でしゃべっています。

間が難しいってどういうことだろうと思うけど、間が難しいというか、間があってはいけないという感じ。なのかなあ。というか、そもそも間が存在しないのかもしれませんね。オンラインには。と考えると、間というものは、その時に共有する空気や熱や空間、呼吸や息遣い、緊張感であって、ただ過ぎて行くその時間ではないのかもしれない。

でも電話で間は感じるよなー。電話は妙に生々しい間ありますよね。同じ空間にいるような。声だけだからこそ?電話には吐息がかかるようなリアルな感じあります。その吐息には体温もあって、その人の気持ちも伝わるような。オンラインよりも生っぽいリアルなものを感じるのは見えないからこそなのかもしれませんねー。

あとオンラインはまだ慣れてないっていうのもあるのかもしれませんねー。

リアルの間、電話の間、オンラインの間、それぞれあるにはあるけどなんか種類が違うということですかね。オンラインの間は心地よくないというか。まだ心地よくないのかもしれなくて、もっとこれからオンラインが当たり前になっえいくと、この間も間として受け入れられるのかもしれないけど。。
何を書いているんでしょうかこれは。


そろそろオンライン飲み会じゃなく、居酒屋飲み会をしたいですね〜。
もはや緊急事態が日常になって、緊急事態があけたときに、すんなりとあの頃のように戻れるのでしょうか。めちゃくちゃ変な間あいてますけど。
飲食店はじめ、お店やってる方、みなさん大丈夫でしょうか。
何ができるというわけではないですけど、何かお手伝いできることがあれば言ってください。そういう気持ちでいます。

2021.06.11

2021年6月11日(金)の日記

梅雨のはずだけど、ずっと晴れ間が続いていて暑い。夏の暑さ。風は気持ちいい。エアコンはつけない。

あるロゴデザインの色味を検討。シニア向けのサービスのロゴ。高級なサービスでもあるので品はなくさず、でも会社や業界としては新しい試みなので、いわゆるシニア向けの高級感のある色味とは違うものも検討したい。
シニア向けの色とは。高級感のある色とは。シニア向けの高級感のある色とは。品のある色とは。シニア向けの品のある色とは。シニア向けで、高級感もあって、品もあるけど、なにか新しいことをしていると感じるような色とは。。

そういう色はきっとあって、誰が決めたでもなく、世の中的に、一般的に徐々に徐々に作られてきた価値観というものだと思うけど、もちろん時代によっても違っているし、国によっても違う。
じゃあその価値観がどうやって作られたのかというと、映画や音楽、本、商品やサービスそのものでもあるし、それを包むデザインでもあると思う。そんなえらそうなもんじゃないし、それがいいことなのかもわからないけれど、その積み重ねが文化や価値観をアップデートし続けていると思っている。
つまり何が言いたいかというと、デザインにはその責任があるのだということ。(いやどんな仕事もそうなんですけど)文化や価値観をつくる責任が。というかそれぐらいの気持ちでやりましょうよということです。

で、シニア向けで、高級感もあって、品もあるけど、なにか新しいことをしていると感じるような色とは。。

2021.06.10

2021年6月10日(木)

現地に赴き生産者との関係を築き、その生産者と直接取引をして、高品質なコーヒー豆をを僕たちに届けてくれる香川のコーヒー豆やさんアロバー
そこからの依頼で、「コーヒー豆を一袋買うとニカラグアの子ども一人が1時間、文字の読み書きどを学ぶことができます」というプロジェクトのアイコンのようなマークのようなものの制作依頼。
お金がない子供たちはギャングになったり、教育もまともにうけることができないという。アロバーさんは適正な価格で取引することで、お金がちゃんと生産者のもとに届くようにとの思いもあり、直接の取引を行なっているのだ。

「コーヒー豆=子供の勉強時間」といった図式のようなアイコンではなく、ニカラグアがイメージできて、ニカラグアの子供がイメージできるようなものにしたい。コスタリカでもパナマでもなく、ニカラグア。
ニカラグアの場所を調べる。ニカラグアの花を調べる。ニカラグアの山を調べる。ストリートビューで行ってみようと思ったけど、ビューできるところがほとんどなかった。
ニカラグアの子供の顔を見てみる。インターネットで見てみる。めちゃくちゃやさしそうないい笑顔。こういうお国柄なんだろうなと想像してみる。この子供たちにアロバーさんたちの想いは届くだろうか。届くといいなと思う。この子供たちが幸せになるといいなと思う。

2021.06.09

2021年6月9日(木)

友達が大学に勤めている。その友達の企画で大学内にアート作品を展示するというものがあって、会場の構成や広報物の制作を手伝ってほしいということで、その打ち合わせのために京都の大学に向かう。
天満橋から京阪電車。久しぶりの京阪電車。京阪電車といえばくるり。京阪電車という歌詞もでてくる「街」という曲があって、くるりの曲で最初に好きになったのは「街」かもしれない。街でも聞きながら行こうか。それとも「HOW TO GO」か。「HOW TO GO」は営業として会社に勤めていて、辞めようか辞めまいかと思っていたときにとても勇気をくれた。「昨日の今日からは一味二味違うんだぜ」
でもそんな気分じゃないから、くるりを聞くのはやめておいた。

辞めようか、辞めまいかと思って結局やめた会社は伏見にあった。伏見の会社に通っているとき、中書島という京阪沿線にある駅の近くに住んでいた。
その会社をデザイナーになろうと思って辞めて、大阪にあるデザインの学校に1年ぐらい通っていた。昼間はこれも大阪の桜ノ宮にある倉庫で働きながら。なので1年ぐらいは中書島から京阪で京橋に行き、そこから環状線で桜ノ宮にいき、夕方まで働いて、そのあと、地下鉄の都島まで歩いて、谷町線で天六まで行き、堺筋線で長堀橋まで行き、駅から数分のところにあるデザインの学校に通うという生活をしていた。
デザイナーになりたいという明確な目標があったので、めちゃめちゃ充実していて、些細な悩みはあれど、何の迷いもなく、楽しかった。京阪電車に乗っている自分が誇らしかった。やたらと乗り換えることも、駅まで少し歩くことも誇らしかった。好きな人もいたし。

その時期、 朝から邦楽のPVを流すテレビ番組があって、なんとなくというか毎日ちゃんと見ていて、そのときよくかかっていたのが、平井堅の「瞳を閉じて」、アジカンの「ループ&ループ」、ミスチルの「Sign」、奥田民生とつじあやのの「シャララ」、aikoの「三国駅」。特に発売時期ではないと思うけど、なんでかしらないけどこのへんがよくかかっていた。全部好きだし、これらの曲を聞くと、当時の気分が蘇ってきて、あ〜〜となる。うれしいような恥ずかしいような、まだまだ大丈夫なような。

「世界の中心で愛を叫ぶ」は見たことないけど、「瞳を閉じて」を聞くと、世界の中心で愛を叫んだ人よりもきっときゅんとなる。充実して、一生懸命だったあの日々を思い出すから。
「瞳を閉じて」を聞いて、世界の中心で愛を叫ぶを思い出す人もいれば、京阪で大阪に通っていた日々を思い出す人もいる。
そんなことを思いながら、じゃあ平井堅でも聞きながら行こうかと思ったけど、そもそもスマホに入れてないし、そんな気分じゃないので聞くのはやめておいた。

2021.06.09

6月8日(火)

朝から入稿。ネット印刷。入稿はいくつになっても緊張する。

クラシックコンサートプログラムの修正。A5サイズなので文字が小さいと思いながらも窮屈にならないように、緊張感とスカッとした抜けも感じるように。

夕方から打ち合わせ。ネットでカスタムオーダーができるようなwebサイトを制作するというもの。webの案件も多いが、僕はコーディングができないので、どうしてもワンテンポ遅れる。スピードだけでなくデザインも遅れるような、そんな気がしている。
A4やA5、不定形だとしても決まったサイズで制作するのと、webのようにメディアによってサイズや見え方も変わるものを制作するのとでは勝手が違う。webのデザイン(表層)は何度もしているがどうしもイメージしづらくて、もんもんと悩んでしまう。時間もかかる。
だから、すでに企業やブランドのイメージもあって、webをつくることが目的であれば、僕を通さずにWEBに強い制作会社に頼んだ方がいいと思っている。だから一緒に良さそうな、webの制作会社を探した。でもほんとは仕事にしたいし、信頼できるコーダーさんとかwebデザイナーさんと一緒にやれたらという思いもあって、そういう人は常々探しています。どなたか声かけてください。


webは絶対に必要だし、これからも増えていくと思うけど、紙でしか伝わらないものも必ずあって、webのように流れていかず、手元に残るし、手触りも残るものだからできることを考えていきたいと思う。webと平行して、そういう紙もので、企業の考え方や商品の心地良さみたいなものを伝えるものが作れたらいいですね。じゃあ作りましょう。という話もできたので今日は良かった。

2021.06.07

2021年6月7日(月)

ウォン・カーウァイ作品を立て続けに見ている。「欲望の翼」「花様年華」昨日は「ブエノスアイレス」を見た。僕は1977年生まれで、ミスチルやスピッツ、ドラゴンボールにスラムダンク、ダウンタウンやウッチャンナンチャン世代だけれど、ウォン・カーウァイ世代でもあるのです。大学に通っていた当時、相当流行っていたのではないでしょうか。(この前台湾人の若い友人にそんな話をしたらびっくりしてたけど。)キムタクともなんかやっていたような気がします。見てないけど。
当時、地方独自のオリジナルな名前のついた国道沿いのレンタルビデオやさんに自転車で行って、マクドナルドを持ち帰って、見た覚えがある。もちろんVHSで。内容はほとんど覚えてないけれど、見た覚えはある。映画や音楽にあこがれるけど、どうしたらいいかはわからない、ごく普通のもんもんとした学生だったからこれは見ておかなきゃとも思ったんだろうと思いますきっと。そんなことを考えていると、当時の間取りが浮かんできて、当時の匂いがしてくるようで切ない。

あれから20年以上、久しぶりに見たウォン・カーウァイ作品はめちゃめちゃかっこよかった。いちいちカッコいい画なんですね。前ぼけ、荒れた画質。顔と顔の距離近すぎ、たばこ吸いすぎ、突然のスロー、音楽、緊張感、ブエノスアイレスの色。かっこいいー。ストーリーは淡々と進むんだけど、かっこいいー。
動くソール・ライターのような気もしました。
当時はソール・ライターも知らないし、何がかっこいいかも分かってなかったと思うけれど、(というよりかっこいいものを素直にかっこいいというのが照れ臭かった。そんな幼稚な大学生)とにかくかっこよかった。レスリーチャンやトニーレオンは今みても色っぽい。受話器を握る姿、受話器をおく姿、タバコを吸う姿、傘をさす姿、ノックする姿、立ち去る姿。姿というか動き、所作。もはや公衆電話での所作なんて、日本に存在しないのかもしれないけど、かっこよかったなあ。たぶん当時こっそりまねてたんじゃないかしら。デジタルや合理化、ものが便利になることで失われるものがあるとしたら、こういった所作ではないかと思う。古い日本映画なんかをみていてもいつも思う。
レスリーチャンとトニーレオン、当時は同じような印象を持っていたけれど、今みるとレスリーチャンの役はレスリーチャンじゃなければいけないし、トニーレオンの役はトニーレオンじゃなければいけないと、めちゃくちゃ思った。

ミスチルやスピッツ、ドラゴンボールにスラムダンク、ダウンタウンやウッチャンナンチャンが、血となり肉となっているように、ウォン・カーウァイも血や肉や骨になってたらいいなあと思うけど、どうだろう。

ちなみに「花様年華」とは(花のように)人生で最も美しい瞬間という意味。

2021.06.07

2021年6月6日(日)

思った以上に中休みがあるような気がする今年の梅雨。今年の梅雨は早かった。五月に梅雨入りだと聞いたが、誰に聞いたのか、テレビで見たのか、ラジオで聞いたのか。それはよく覚えていないけど、誰かにも聞いたしテレビでも見たような気がする。ならばその情報源はいったい誰なのだろうと思う。気象庁か。今から梅雨ですって言う人がこの世の中にはいる。
朝から手洗いで洗濯。大切な服は必ず手洗いしますと、おしゃれな芸人が言っていた。
最近買ったおしゃれなシャツは気に入っている。そのシャツはポリエステルで肌触りがいいと思う。あの時触れたワンピースやスカートはポリエステルだったのだろうか。
ポリエステルをどうやって洗ったらいいのかわからないのでネットで調べる。わからないことを
分かるためにネットができたはずだったけれど、今や、情報を分かりにくくしていて、結局答えないというか、それはわからない、みたいなサイトも見かけるよね。とラジオで言っていたのはAR三兄弟の長男だったっけ。自分発信の考えなんてないですよね。
話はそれたが、無事ポリエステルのシャツを洗い、ついでに半袖のタイプライターシャツも洗う。というかタイプライターシャツなんて昔からありましたっけ。なんか当たり前のように今あるけど、そんなもの昔あったのか。でも、これ好き。タイプライター生地とは長い糸で高密度に織った生地で丈夫で軽く、そしてパリッとした張り感と立体的でナチュラルな皺感も特徴とのこと。うん、そうその感じが好きなんです。
話はそれたけど、ポリエステルは少しやさしくなでるように、タイプライターシャツは普通にごしごし手洗いしました。

2021.01.16

あけましておめでとうございます。

以下、毎年恒例、年賀状エッセイです。笑

普段から人との距離感は意識している。どちらかというと、ちょっと人より距離を取る方かもしれない。定食屋さんとかに入る時、できるだけ端っこに、中が見渡せるような席に座りたいと思うのだけど、それと同じ感覚。なんかあったらすぐ逃げられる距離。そう考えるとずるい人間だなあと思うけど、たぶんそういう人間です。でもこの例えはなんか違うような気がしてきました。距離をとるのはただ照れているだけです。
つまりほんとはもっと距離を縮めたいと思っています。仲良くなりたい。ざっくばらんにお話したいし、お仕事したい。その方が楽しいし、本領発揮できるから。でもそうしようとしたり、縮まった!と思ったら、急に距離を感じることもあって、そのたびにあたふたしたりなんかして。
仕事で、マブダチのように打ち合わせしてたのに、メールになると急に距離感じるみたないなことありませんか。あれなんなんでしょう。メールの作法みたいな、お世話になってます、みたいな、あれ距離感じますよねー。あのフォーマットにのせると、すごい距離を感じます。なんかもっと距離が縮まるようなうまい言い方がないのかなあと常々思っています。お疲れさまですの方がまだ距離が近い。あとこんにちはとか?もうお世話になってますはやめよう。いや人によるか。
とにかく去年はなんだか無理やり距離を取らされた1年で、もう距離をとるのはきょりぎょりだ、なんて思っていたので、今年はその広げられた距離を、なんとか言葉で、気持ちで縮めていけたらなあと思っています。まあもちろん、近すぎるのもどうかとは思いますが。

とういうことで近すぎる「うし」を年賀状のビジュアルにしたんですけど、
分かっていただけましたでしょうか。
分かんないですよね〜。泣
それでは本年もよろしくお願い致します〜。

 

 

2020.06.19

デザインでモチベーションを上げる

 

ロゴやブランディングのご提案をした時に、モチベーションがあがる人が多いです。
デザインを依頼してくれている時点で、そもそもモチベーション高い人たちですが、
改めてちゃんと事業に向き合おうとしてくれたり、ふんどしを締めなおしてくれたり、さらにやる気を出してくれたり。(全部意味同じですね。。)
それはデザインしている自分にとってとてもうれしいことです。
そしてそれが、デザインのもつ力であり、デザインの効果だと思っています。デザインはアガります。

でもなぜそういう効果があるかというと、それはロゴやデザインに、意義やストーリーがちゃんと込められているからだと思っています。自画自賛ではなくて、デザインとはそういうもの。

デザイン作業をする前にはいつもクライアントさんとたっぷりお話しさせていただきます。
なぜこの事業を行うのか、その事業を行うことでどういう世の中にしたいのか、誰を幸せにしたいのか、もちろん何が好きとか嫌いとかそんな雑談も含めて。
会話のなかには事業を行う意義や目的、価値観など、たくさんのストーリーが散らばっていて、僕たちデザイナーはそれをつかまえてカタチにしようとします。
そしてご提案するデザインはそれをうまくカタチにできたものです。

もちろんそれはそもそも本人が語ってくれた、意義やストーリーではあるけれど、
改めてそれがカタチになったものを目にすることで、その意義やストーリーを再認識して
モチベーションがあがるのだと思います。
自分たちは、なんのためにこの事業をやるのか、なぜこの事業をやるのか。
働く人のモチベーションをあげるものは唯一それだけなんじゃないでしょうか。
代表者に限らず、スタッフたちもきっとそうです。
デザインをやりなおしたら、リクルートの応募の数が格段に増えたというのもよく聞く話です。
誰もが意義のある仕事をしたいと思っている。だからデザインに意義を込めるし、それが透けて見えるブランドには人が集まるのだと思います。


山口周さんの「NEWTYPE ニュータイプの時代」にはこれからの時代の「意味」の重要さが書かれていてとても納得した。それを読んで、今僕が書いたようなことを思いました。
他にも現代社会の「問題=ビジョンの不足」など、まさにそれこそデザインやブランディングだと思えるようなことも書かれていて、自分のやるべきことやデザインの役割を再認識させてくれて、とてもためになりました。

そして現在、デザインはテクノロジーの進化で、ある程度誰でもできることのようになってきている。素人とプロの境界も曖昧で、クオリティの考え方も多様にはなってきているけれど、
だからこそ、ちゃんと「意志」のあるデザインやブランディングは必要とされると確信しています。

勢いで書いてたら「意義」「意味」「意志」と3つ出てきましたが、ざっくり同じでいいと思います。。汗